母のこと

母のことを記録として書いていますので

このまま閉じちゃって

お帰りになってもよろしいですよ







2泊3日で母の顔をほんの15分見て

日曜日 自宅に戻りゆっくりしていたら

その日の夜

母の状態が悪化して今日、明日が山かもと

弟から電話がきた


翌朝、また4時間かけて病院へむかうと

小康状態が続いている

私の声掛けに眼は明くけど

焦点が定まらないみたいでした

こんな時

私たちが話していることを

寝ている本人はわかっているといいますね


病室には長くいられないので

いったん実家で待機

待機中も病院からの連絡はないのでホッとし

また翌日ちょっと面会

少し持ち直したみたいなので

水曜日に東京へ戻ってきました


あとは母の体力がどこまで持つか……


17日は母の85歳のお誕生日

その日 弟夫婦が面会に行って

日中も眠らせる薬を処方されているので

声掛けに反応はなく

急変しなければしばらく大丈夫かなと

私も弟夫婦も仕事に行った連休明けの19日


病院から呼吸が弱まってきているので

すぐに来てほしいと電話

義妹ちゃんがすぐに病院へ向かうけど

間に合わず

だれも最期を看取ることができませんでした


肺癌が見つかったのは5年ほど前のこと

治療を続けてきたけど

とうとう同じ病気で若くして亡くなった父のもとへ

旅立っていきました


生前 病気になる前もなった後でも

叔母に「今が一番幸せ」と言っていたそうだ


夫には早くに先立たれたけど

弟のお嫁さんに優しくしてもらい

幸せな人生だったでしょう

今はあちらの世界で父に

いろいろ話しているでしょうね


火葬後に遺骨を見たとき

この年齢にしては骨が🦴その形のまま

残っていることにびっくり

骨は丈夫と自分で言ってたけど

本当にその通りだったわ


強い母でした